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名古屋地方裁判所 昭和42年(ワ)3654号 判決 1969年8月25日

原告

金子曠

ほか一名

被告

飯島製本株式会社

ほか一名

主文

被告らは各自原告金子曠に対し金一〇二万五三五二円並びに、これに対する被告飯島製本株式会社においては昭和四二年一二月三〇日以降、被告永田道夫においては同月二九日以降各完済まで、年五分の割合による金員を支払え。

原告金子曠のその余の請求及び原告金子シズヱの請求を棄却する。

訴訟費用中、原告金子曠と被告らとの間に生じた部分はこれを三分し、その二を同原告、その一を被告らの負担とし、原告金子シズヱと被告らとの間に生じた部分は同原告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分につき仮に執行することができる。

事実

第一当事者双方の申立

原告訴訟代理人は「被告らは、各自、原告金子曠に対し金三四七万三一三四円、原告金子シズヱに対し金五〇万円並びに、いずれも、これに対する訴状送達の翌日から完済まで、年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、

被告訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二当事者双方の主張

(原告の主張)

一  原告曠は、次の交通事故により傷害を受けた。

(一) 日時 昭和四〇年一一月一六日午後六時五分頃

(二) 場所 愛知県小牧市大字小牧一九〇四番地先国道四一号線絹庄ガソリンスタンド前交差点

(三) 加害車 被告永田運転の普通乗用車(愛5ふ九九一六号)

(四) 事故の態様 原告が被告永田運転の加害車に同乗して帰宅途中、同被告は時速約四〇粁で右交差点を右(西)折しようとして、交差点中心より手前(北)附近で、加害車を北進中の名鉄バス右前部に衝突させた。

(五) 傷害 頭部外傷脳血管障害(なお、この点は後記のとおり)

二  本件事故は被告永田の前方不注視の過失により発生したから、同被告は民法七〇九条の責任。

被告会社は加害車を所有しこれを自己のため運行の用に供していたものとして自賠法三条の責任。

三  原告は事故の翌日たる昭和四〇年一一月一七日、春日井市足立病院で頭部打撲症の診断を受け即日入院し、注射と飲薬で治療を受けていたが、難聴、耳鳴り、頭痛、視力障害等の症状が残存したまま、同月二五日退院した。そして、同月三〇日より被告会社へ出勤し、軽作業に従事しながら同月二六日から通院していたが、右症状が高血圧症に由来しているとの理由で医師の指示の下に同年一二月一五日内科に転科し通院した。しかし病状は悪化するので、昭和四一年九月一日再び足立病院に入院したが、同年一二月上旬頃には、歩行困難、言語障害、視力障害、頭痛、耳鳴り、極度の物忘れ等で狂人同様となったので、同月五日一応退院した。

昭和四一年一二月六日から同月一三日の間、名古屋大学医学部附属病院でレントゲンその他の検査を受け、同月二七日入院し昭和四二年二月一九日退院した。その間、同病院であらゆる検査を受けた結果、頭部打撲傷により脳血管障害が生じ、これが原因で耳鳴り、頭痛、言語障害、歩行困難、物忘れ、精神の不安定等の症状が生ずることが判明した。そして同病院の治療により症状は四割程度治まり、六割程度は治ゆしなかつたものの、手術しても治ゆする見込みはないし、また、病状が少し落ちついたため退院して通院治療するようにとの指示によつて前記の如く退院し、以後、同病院に通院している。

しかし、同原告の症状は好転せず、現在では、終日、頭痛頭部の重圧感、左耳の難聴、耳鳴り、精神の不安定、注意力の集中困難等の病状がある。頭痛のひどい時には一日に一回ないし三回あり、それが一回のときは約三時間、三回のときは約三〇分ないし約一時間も治まらず、これは、今後も回復の見込みのない後遺症として残存するものである。

四(一)  原告曠は当時被告会社に勤務し、平均一カ月金二万六六四九円の収入があつたが、昭和四一年九月一日から被告会社を欠勤し将来、就業できる見込はない。

そこで、同原告は、昭和四一年九月一日より昭和四二年一二月三一日まで右の割合による収入金四二万六三八四円より傷病手当金として受領した金一〇万一〇三二円を控除した残額金三二万五三五二円の得べかりし利益を失つた。

また、同原告は昭和四二年一二月当時六〇才であり、今後七年半就労可能としてその間の右の割合による利益を失つたことになるが、これにホフマン式計算法を施し、現在の一時払額に換算すると金二一三万七七八二円となる。

したがつて、同原告の逸失利益は金二四七万三一三四円となる。

(二)  同原告の蒙つた肉体的、精神的苦痛に対する慰藉料はこれを金一〇〇万円とするのが相当である。

(三)  原告シズヱは原告曠の妻であり就職していたところ、原告曠の入院中は休業して看病に専念した。そして、原告曠の病状が前記の如くである以上、原告シズヱの蒙つた肉体的、精神的苦痛に対する慰藉料は金五〇万円とするのが相当である。

五  よつて、被告ら各自に対し、原告曠は金三四七万三一三四円、原告シズヱは金五〇万円及び、これらに対する訴状送達の翌日から完済まで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

六  被告主張の示談成立の抗弁は否認する。

尤も、次の如き事実はあるが、右によつて、当事者間に示談が成立したものとはなし難い。

原告曠は、事故の翌日より昭和四〇年一一月二九日まで被告会社を欠勤したが、その間の休業補償は、被告の指示により健康保険の傷病手当金で充当することとなり、同年一二月頃その請求手続をした。ところで、昭和四一年五月二八日同原告と被告会社の小木曾真三とが話し合つた結果、同人は、傷病手当金は交付されないから被告会社が右手当金を立替えること、今後、治療は労災保険を利用することに話し合がつき、同年六月一日同原告は、被告の主張する金五四〇〇円を受領したにすぎないのである。(その後、被告会社は右健康保険の傷病手当金請求を昭和四一年一月二四日取下げている。それは、同原告が業務上受傷したものであるため、労災保険から給付を受けるのが筋道であるからである)。

(被告の主張)

一  原告主張事実中、原告主張の日時場所において、原告曠の同乗する加害車が他車と接触したこと、原告曠、被告永田がいずれも被告会社の従業員であること、被告会社が加害車を所有しその運行供用者であること、原告曠の昭和四一年九月一日当時の平均賃金が一カ月金二万六六四九円であつたこと及び、原告シズヱが原告曠の妻であることは認めるが、その余の事実は争う。

二  原告曠がその主張の如き負傷をした事実はない。

同原告は昭和四〇年一一月八日から同月一五日まで病気を理由に欠勤し、事故当日始めて出勤し、交通事故に遭遇したのは退社途中のことである。事故直後、被告永田は同原告に対し負傷の有無を尋ねたところ、同原告は、「鼻の下を打つただけだ」と申し述べていたが、被告永田は、万一、傷害があるといけないからと考え病院へ行くように話したところ、同原告は、「病院へ行く必要はない」旨述べてこれに応じなかつた。さらに、被告会社の係員も念のため診察を受けるように話したが、同原名は、その必要なしとしてそのまま帰宅し、帰宅後も通常と全く異るところはなかつた。そのうえ、その頃から翌四一年八月三一日までは通常どおり被告会社に勤務していた。これらの事実によると、同原名が本件交通事故により受傷したこと、ましてや、その主張の如き後遺症が残存するとは、とうてい、考えられないところである。

原告曠は、炭鉱閉山により昭和四〇年四月二六日から被告会社に勤務するようになつたものである。同原告は前職勤務中、肺結核のため肺葉切除の手術を受けた身体障害者であり、動脈硬化症、高血庄症、変形性脊椎症等の病歴を有していたので、被告会社においても軽作業に従事させることとし、製品の積上作業に従事させたが、この程度の作業にも耐えられない旨の申出があり、その後、紙折機の助手というさらに軽い作業に就かせたが、能率が悪く、かつ、仕上も不良であつたので、止むを得ず、昭和四一年八月下旬頃から掃除等の雑役専門に配置換をしたところ、同原告はこれが不服であつたのか、高血圧症、心不全である旨の診断書を提出して、同年九月一日以降欠勤するに至つたのである。

三  同原告は事故の翌日たる昭和四〇年一一月一七日は午前八時から午後一時まで勤務し、その後同月三〇日まで欠勤したが、爾後は、昭和四一年八月末日まで平常どおり勤務していた。

同原告が本件事故により受傷した事実がなかつたことは前記のとおりであつたが、同原告が再三に亘り、被告会村に対して種々の申出をしてくるので、昭和四一年五月下旬頃被告会社営業部長訴外小木曾真三が原告曠と協議した結果、被告会社は同原告に対し休業補償として金五四〇〇円を支払い、健康保険の適用(事故により受傷していないのであるから労災保険の適用はできない)をすることにより、同原告・被告会社間における前記交通事故に関する問題を一切解決する旨の合意が成立した。したがつて、この点からしても、原告の請求は理由がない。

第三証拠〔略〕

理由

第一本件事故の発生

一  原告主張の日時場所において、原告曠の同乗する加害車が他車と接触したことは当事者間に争なく、〔証拠略〕を総合して認められる本件事故の状況及び被告永田の過失は、次のとおりである。

本件事故現場は前記場所を南北に通ずる国道四〇号線と同所を東西に通ずる国道一五五号線が直角に交差する信号機の設置された交通ひんぱんな交差点である。被告永田は加害車を運転して時速約四〇粁で南北道路を南進し本件交差点に進入して右折(西)しようとしたが、前方不注視ないしは一旦停車義務違反の過失により、折から、南北道路を時速約三五ないし四〇粁で北進していた名鉄バスが、すでに、本件交差点に進入して直進しようとしていたにも拘らず、その通過を待つことなく、突如、前記速度で右折を開始したため、加害車を右バスに衝突させるに至つたものである。

二  したがつて、被告永田は民法七〇九条により、原告曠に生じた後記損害を賠償する義務があり、また、被告会社が加害車を所有しこれを自己のため運行の用に供していたことは当事者間に争がないから、被告会社も亦、自賠法三条の責任がある。

第二原告曠の傷害

〔証拠略〕を総合すると、次の事実を認め得る。

一  原名曠は、加害車の助手席に同乗していたが、被告永田が前記の如く名鉄バスとの衝突を避けるため急ブレーキをかけた際頭部を打撲し、同日はそのまま帰宅したが、頭痛、左の耳鳴りがひどく、翌日の昭和四〇年一一月一七日、足立病院で診察を受けたところ、左側頭部、上唇部に血腫が認められたが、右外傷それ自体は、殆んど治療の必要なき軽度のものであつた。しかし、同原告は依然、強い頭痛と耳鳴りを訴へたため頭部外傷と診断され、即日入院した。入院中の同月一九日、同原告は腰椎の痛みを訴えたが、右は、本件事故とは無関係の変形性脊椎症である旨の診断を受けた。同月二五日退院したが、退院時においても依然、耳鳴りの症状はあつた。そして同月二六日から同年一二月一五日まで通院したが、(実日数七日)その間、同原告は、耳鳴り、頭痛の愁訴をしていたところ、同月六日、左の視力障害を訴えるに至つた。ところで、同原告は以前に眼底出血の既往歴があつたことを洩らしたため、同病院においては、同原告のこれらの症状は、すべて、高度の動脈硬化から発生しているのではないかと疑い、同月一七日同病院の内科に転科させ、同科においては動脈硬化症、高血圧症と診断し、治療したが症状が改善されないため昭和四一年九月一日に同内科に入院したが、一向に好転せず、かつ、同原告は右各症状は動脈硬化症に起因するものでなく外傷に起因しているのではないかとの疑念を表明していたため、同内科は、大病院においてこの点の検査をやり直させる意図で、同年一二月五日同内科を退院させた。

二  そこで、同原告は、翌一二月六日名古屋大学医学部附属病院で診療を受け同月二七日同病院に入院した。その際も、同原告は頭痛、左の耳鳴り、左の聴力障害を訴え、同病院においては一般的検査のほかに、神経学的検査、レントゲン検査、脳血管撮影、放射性原素による頭蓋内症患の検査、脳循環、脳脊髄液の検査等を施行した結果、昭和四二年二月一九日の退院時頃には、正式に、同原告の病名は頭部外傷、脳血管障害である旨の診断をした。そして、脳の血液循環を促進する薬の投与を受け、退院時には、一般的には症状好転し、退院後も昭和四三年三月一九日頃まで同病院に通院し、依然、頭痛、耳鳴りの主訴は変らなかつたものの、その頃、大体、その症状は固定されたものと診断された。すなわち、同病院においては、同原告が本件事故により受けた頭部外傷、既往症の高血圧症の両者が相まつて、同原告の前記の如き症状を発生させたものと診断した。

右認定に反する〔証拠略〕は、にわかに採用し難く、他に被告主張事実を認めて、前語認定を覆すの証拠はない。以上事実によると、同被告は、本件事故により頭部外傷を受けたことが原因となり、当時における同原告の六〇才近い年令、同原告の持病であつた高血圧症が禍して脳血管障害を惹起し前記の如き諸症状の発生をみるに至つたものと認めるのが相当であり、両者間には相当因果関係があるものというべきである。

第三損害

一  原告曠が当時被告会社に勤務していたこと及び、同原告の昭和四一年九月一日当時の平均賃金が一カ月金二万六六四九円であつたことは当事者間に争なく、〔証拠略〕を総合すると、同原告は、昭和四一年九月一日以降現在まで被告会社を欠勤し、その間の給与を受けていないことが認められる。そして、第二認定の同原告の傷害の程度その他の事情を斟酌すると、同原告の休業補償は同年九月一日から昭和四二年一二月三一日までの期間に限定するのが相当であり、右は、金四二万六三八四円となるが、同原告が受領したことを自認する傷病手当金一〇万一〇三二円を控除すると、残額は金三二万五三五二円となり、これが、被告らに対し賠償を求め得べき休業損害である。〔証拠略〕を勘案しても、右結論を左右するに足りない。

したがつて、また、同原告の昭和四三年一月以降七カ年半の間の逸失利益の請求は認容し難い。

二  原告曠の蒙つた肉体的、精神的苦痛に対する慰藉料は、同原告の傷害の程度、本件事故の態様、その他諸般の事情を彼此参酌すると、これを金七〇万円とするのが相当である。

三  原告シズヱは原告曠の受けた本件受傷につき、原告シズヱ自身の慰藉料を請求し、原告シズヱが原告曠の妻であることは当事者間に争がない。しかし、原告曠の傷害の程度が第二認定の程度に過ぎない以上、原告シズヱが慰藉料を請求し得ないことは、多言の要なきところであろう。したがつて、原告シズヱのこの請求は理由がない。

第四被告の示談成立の主張

原告曠が被告主張の頃、被告会社の営業部長小木曾真三から金金五四〇〇円の支払を受けたことは同被告の自認するところである。しかし、これにより被告主張の示談が成立したとの点についての〔証拠略〕は、とうてい、採用し難く、他に、これを認めるに足る証拠はないので、この主張は採用できない。

第五結論

よつて、原告曠の本訴請求は被告ら各自に対し、金一〇二万五三五二円及びこれに対する、いずれも訴状送達の翌日たること記録上明白な被告会社においては昭和四二年一二月三〇日から、被告永田においては同月二九日から各完済まで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当としてこれを認容し、その余は失当として棄却すべく、原告シズヱの請求は失当として棄却することとし、民訴法八九条、九二条、九三条、一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 可知鴻平)

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